余命が短い患者の夫婦関係を見て、自分の死に方を考えた
なんでそんな言い方をするのか
その患者はパーキンソン病で思うように体が動かず、言葉も出にくい。
そんな患者に、妻は強い口調で言葉をぶつけていた。
「ちゃっちゃと動いてよ」
「なんでそんな姿勢でいるの。もっと楽な姿勢になったらいいやんか」
とある患者の入院対応で起こった、見るに堪えない場面だった。
そして妻が帰ったあと、患者は私に、泣きながらこう言った。
「妻、怖いやろ。いつもあんなんや。」
その一言に、私は何て答えたらいいのかわからなかった。
余命が短い患者の姿を見て思ったこと
入院後、その患者には末期がんの骨転移も見つかり、BSCの方針になった。
先は長くない。けれど、その後も妻が面会に来ることはなく、患者はずっとひとりに見えた。
その患者の姿を見て、『こんな最期はいやだ』と強く思ってしまった。
私が怖くなったのは、病気そのものではない。自分もいつ大病を患うかはわからないし、思うように体が動かなくなる日が来るかもしれない。でも本当に怖いのは、そのとき周りに誰もおらず、ひとりでいることなのだと思った。
弱った自分の苦しさをわかってもらえないこと。
自分の気持ちをわかってもらえないこと。
自分の思いを吐き出す場所もないこと。
そして、人生の最後が近いのに、安心できる相手がそばにいないこと。
そういうものが重なった先にあるのが、私にとっての「寂しい死に方」なのだと思った。
自分はどう死にたいのか
私が望むのは、大切な人に囲まれて、最後までそばにいてもらえること。
そしてそのときに、「一緒にいてくれてありがとう」と言えること。
今回の患者を見て、最後にどう死にたいかは、今をどう生きるかとつながっているのだと、自分の死に方について考えさせられた。
寂しい死に方はしたくない。
最後までそばにいてくれた人に、ありがとうと言えるように生きたい。
今の私に言えるのは、それくらいです。