看取りの前で心が揺れたのは、患者だけではなかった
今日、ターミナルの患者さんと関わっていて、強く残った場面がある。
僕はその人に少しでも楽になってほしくて、体位を整えることを提案した。
「私に触らんといて!! そんなん言うのなら早くマスクからカニューレに変えてよ。ご飯食べれないじゃない!」
返ってきたのは強い拒否と、僕の態度への指摘だった。
正直、へこんだ。なんでそんな言われ方をされるのかと思った。
もちろん、その患者さんがとても苦しかったことはわかっている。
進行した肺がんで、呼吸困難や痛み、全身のだるさも強かった。
延命を望まず、無理な医療処置も希望していない。
何かされること自体がつらかったのかもしれない。
男性である僕に対して、不快さもあったのかもしれない。
頭ではそう理解しようとしていた。
でも、実際の僕は揺れた。
「どうしてこんなふうに言われるんだろう」
「自分の関わり方が悪いのか」
「どうしたらよかったのか。どうしたらこの人の苦痛を減らせるんだろう」
そんなことを考えているうちに、患者さんの言動にいら立ってしまった。
そして、その瞬間に思った。
自分は冷たい人間なのではないか、と。
一番つらかったのは、苦しんでいる相手の味方でいたいのに、そう思えない自分が出てきたことだった。
やさしい思いが届かない。かといって自分にはどうすればいいかもわからない。
その無力感が、僕にはつらい。
でも、今回このことを振り返ってみて、一つ気づいたことがある。
僕は「正しいことをする人」になりたいだけではなかった。
僕は、患者さんにとって「この人がいるから安心する」存在になりたかったのだと思う。
その視点で振り返ると、この患者さんに必要だったのは、僕が思う「もっと楽になる方法」を勧めることではなかったのかもしれない。
むしろ必要だったのは、無理に介入せず、でも見捨てずにいることだったのかもしれない。
「しんどいですね」
「何かできることありますか?」
「いつでも必要があれば言ってください」
そんなふうに、相手の選択を尊重しながら、必要なときにそばで手助けできる人でいること。
それがこの人にとっての安心につながる関わりだったのかもしれない。
今回の体験を通して思った。
支えるとは、何かをすることだけではない。
必要なときに頼れると感じてもらえること、見捨てていないと伝わること。
それもまた、支えることなのだと思う。
患者さんの言動にいら立った自分を見て、自分は冷たい人間だとも思う。
それでも、明日も仕事に行けば、また患者さんと向き合うことになる。
だからこそ、こうした日々の体験を学びの機会として受け取り、次に活かしていくしかないのだと思う。
僕は不器用な看護師だと常々思うよ。
それでも、患者さんに何かをしてあげられる人である前に、
患者さんが「この人がいるから安心する」と思える存在でありたい。
今回振り返ってみて、僕はそう思った。