看護師の共感疲労。優しさが自分を消耗させるとき
患者さんの苦しみを見るたびに、自分まで苦しくなる。
家に帰っても、あの患者さんどうしているかなと頭の片隅に残っている。前ほど感情が動かなくなってきた。そんな自分が怖い。
そういう経験、ありませんか。
わたしは精神科の身体合併症病棟で12年働いてきました。その間ずっと、患者さんへの関わりの中で何かがすり減っていく感覚がありました。当時は「共感疲労」という言葉を使って考えてはいなかったけれど、今思えばあれがそうだったんだろうなと思う場面がたくさんあります。
この記事では、共感疲労とは何か、看護師がなぜなりやすいのか、そして当事者として感じてきたことを正直に書きます。回復法の正解を教える記事ではありません。「答えが出ないまま続けている看護師がここにいる」という話を、ここに置いておきたいと思います。
共感疲労とは何か――優しさが自分を消耗させるとき
共感疲労という言葉は、1992年にJoinson(ジョインソン)が看護師の燃え尽きを研究する中で使いはじめた概念です。
簡単に言うと、「患者さんに共感し続けることで、自分自身がすり減っていく状態」のことです。
感情移入が深い人ほど起きやすい。相手の苦しみを自分のことのように受け取ってしまう。それが積み重なって、ある時点でもう受け取れなくなる。そういうイメージです。
「感情が薄れた」「患者さんに何も感じなくなった」という状態は、怠けや冷たさではなく、共感し続けてきた結果として起きることが多いです。
バーンアウトとの違い――消耗の「理由」が違う
バーンアウトとよく混同されますが、消耗の「原因」が違います。
バーンアウトは、業務量・人間関係・職場環境など、幅広い要因が積み重なって起きる疲弊です。共感疲労は、「患者さんに共感するという行為そのもの」が消耗の原因になっています。同時に両方が起きることもあります。
正直に言うと、わたし自身は両者を体感レベルではっきり区別できていません。
ICU1年目のときの消耗と、精神科での消耗は、根っこにある感覚が同じでした。「一生懸命頑張っても報われない。理不尽な思いをする。」
ただ、原因の質は違いました。ICUでは「先輩が怖い、何をやっても怒られる」という人間関係由来の理不尽。精神科では「患者さんのために必要なことをしているのに、理解されず、怒鳴られたり粗暴的なことをされる」という、患者さんとの関わり由来の理不尽。
定義上の区別はそういうことなんだと思います。ただ当事者の実感としては、どちらも同じ「報われない」という感覚でした。
バーンアウトについて詳しく知りたい方は、こちらの記事も読んでみてください。
こんなサインが出ていたら、共感疲労かもしれない
以下のようなサインが続くとき、共感疲労の可能性があります。
- 患者さんへの感情が薄れてきた、または何も感じなくなった
- 仕事に行くのがしんどい、やる気が湧いてこない
- 家に帰っても患者さんのことが頭から離れない
- 些細なことでイライラしやすくなった
- 眠れない、食欲がない、身体的な不調が続く
- 以前は感じていた「この仕事でよかった」という感覚がなくなった
一つや二つではなく、複数が重なって続いているとき、それは共感疲労のサインかもしれません。
ストレスが限界に近いと感じる方は、この記事も参考にしてみてください。
なぜ看護師は共感疲労になりやすいのか
看護師の仕事は、感情を動かすことが避けられない場面の連続です。
痛みを訴える患者さん、死を意識している患者さん、不安で泣いているご家族。そういった場面に毎日向き合い、「寄り添う」ことが仕事として求められます。断れない共感の要求が、業務として組み込まれているとも言えます。
精神科の身体合併症病棟は、さらに特殊な環境でした。精神疾患と身体疾患を同時に抱えた患者さんへの看護は、精神面と身体面の両方に共感的に関わることが必要です。
ただ、一般的な精神科と違うのは、手術や化学療法の管理も行う病棟だったということです。体の病気の治療と、精神症状への対応を、同時にやらなければならない。「説明すれば理解してもらえる」というわけにはいかない場面が、日常的にありました。
精神症状により、入院や治療の意味を理解できない患者さんがいます。こちらとしては必要なことをしているのに、それが伝わらない。たとえば、治療のために必要なことを説明しても理解が得られず、あるいは処置に協力してもらおうとしても、うまくいかない場面が多くありました。「乗り越えた」わけではなく、難しいままその場で対応するしかなかった場面の積み重ねです。
男性看護師だったこともあって、患者さんが興奮している場面では率先して前に立つことを求められました。怖かったです。それでも前に立つしかない、という場面が何度もありました。
そして、いくら説明しても伝わらないことがあります。患者さんのために必要なことをしているのに、怒鳴られることがある。粗暴的な行動をされることがある。「何でこんな思いをしているんだろう」と感じる場面が、数え切れないくらいありました。
どんな場面が一番しんどかったか聞かれたら、正直に言うと「たくさんありすぎて出てこない」というのが答えです。特定の一場面が印象に残るというより、そういった日常が積み重なっていた。それ自体が共感疲労の本質をあらわしていると思います。
精神科の現場のリアルについては、こちらの記事で詳しく書いています。
精神科で12年。共感疲労と向き合ってきた話
ここからは、わたし自身の話をします。
のめりこみやすい自分と「やりすぎ」の指摘
どうしても患者さんの要望を断れない、という自覚が昔からありました。
患者さんが何かを求めると、できる限りかなえようと動いてしまう。距離感をうまく保てない。それが共感疲労につながりやすいタイプなんだということは、今なら分かります。
あるとき、同じ患者さんの言動に振り回されている自分の姿を他のスタッフに見られて、「やりすぎだよ」と言われました。
自覚はしていたんです。でも実際に言われると、へこみます。
「自分は一生懸命、必死にやっていただけなのに」という気持ちが出てきました。
やりすぎとわかっていながらやめられない。でもそれを指摘されるとへこむ。このズレが当時の自分にとって難しいところでした。今でもうまく解消されたとは言えないのですが。
再入院してきた患者さんを見たとき
精神科では、退院した患者さんが再入院してくることがあります。
「またか」と思うことがありました。「また同じ大変な思いをするのか」という感情が出てくることがある。
これは正直に言うと、きれいなことではないです。患者さんの状況をそう感じてしまうのは、看護師として言いたくない気持ちもあります。
でも、それが共感疲労のひとつの断面だったと思います。本当は患者さんのことを思っているから、同じ苦しみを繰り返す循環に、見ているこちら側も消耗していた。「またか」という感情は、冷たさではなくて、疲弊の出方だったんだと思います。
同じように感じたことがある方がいたら、あなただけではないと伝えたいです。
答えが出ないまま、考え続けている
共感疲労への対処として、「こうすればよくなった」という答えはわたしには出せません。
考え続けるしかないなと思う、というのが正直なところです。
「患者さんとの距離感をうまく保てるようになった」とも言えないし、「今は適切に対処できている」とも言えない。精神科から地域包括ケア病棟に移ってから、消耗の質は変わりました。でも解決したわけではないです。
自分なりの対処法と、効かなかったこと
一般的に言われる対処法として、以下のようなものがあります。
- 仕事が終わったら意識的に切り替える時間を作る
- 信頼できる人に話を聞いてもらう
- マインドフルネスや瞑想で自分を落ち着かせる
- 休日に身体を動かす、趣味に没頭する
- 職場でスーパービジョンや定期的な相談の場を活用する
これらが効く人もいると思います。ただわたし自身に効いたかというと、「友達に話す」以外は特にない、というのが正直な答えです。
友達に話して気持ちを切り替えることは、1年目のころから続けてきた唯一のやり方でした。あとは特にない。マインドフルネスを継続できたこともないし、身体を動かすことで仕事のことを忘れられたかというと、そうでもなかった。
「効いた対処がない」ということ自体を、弱さや失敗とは思っていません。共感疲労は、対処法で解決するものではなく、その状態と付き合いながら続けていくものなのかもしれないと、今は思います。
共感疲労を感じている看護師さんへ
精神科から地域包括ケア病棟に移ってから、消耗の質が変わりました。
精神科では「患者さんに共感してのめりこんで消耗する」という感じでした。今は「振り回されての消耗」に近いです。理由のないナースコール、離床センサー対応、無謀な要求への対応。以前の共感疲労とは少し違う。でも消耗していること自体は変わっていません。
環境を変えれば解決するわけではない、というのが今のわたしの実感です。
それでも、環境が変わったことで共感疲労の形が変わったのは確かです。精神科特有の重さから離れたことで、少し息がしやすくなった部分はあります。今の職場が合わないと感じている方には、環境を変えるという選択肢は、ないわけではないと思います。
メンタルの不調が深刻になってきていると感じる方は、こちらの記事も参考にしてみてください。
共感疲労は、優しさや共感力がある人ほどなりやすいです。患者さんの苦しみを自分のものとして受け取る力がある人が、その代償として疲弊する。弱さではないと思います。
ただ、「弱さではない」と言われてもすぐに楽になるわけでもないことは、自分でも経験として知っています。
答えを出すより、自分の状態に気づいていることの方が、今はとても大事なことだと思います。
もし「辞めることも視野に入れたい」と思っている方がいたら、実際に辞めた体験談も読んでみてください。わたしも転職を経験したひとりとして、辞めるという選択を否定したくないと思っています。
今日も、しんどい現場で踏ん張っている方に、少しでも届けばと思ってこの記事を書きました。
よくある質問
共感疲労とバーンアウトは何が違うんですか?
一般的には、バーンアウトは業務全体の疲弊(業務量・人間関係・環境など広範な要因)で起きるもの、共感疲労は「患者さんに共感する行為そのもの」が原因の消耗として区別されています。両方が重なって起きることも多いです。
体感としてどう違ったかというと、わたし自身は両方とも「一生懸命やっても報われない、理不尽だ」という感覚は共通でした。ただ、ICU時代のしんどさは先輩との関係に由来していて、精神科でのしんどさは患者さんとの関わりに由来していた。その違いが、バーンアウトと共感疲労の違いに重なっていると、後から気づきました。
共感疲労は治りますか?
適切なセルフケアや環境の調整で、軽減・回復できるとされています。ただ看護師として働き続ける限り、患者さんに共感する場面はなくならないので、「完全に治る」というよりは、付き合い方を見つけていくプロセスに近いと思います。
わたし自身は今でも適切に対処できているとは言えません。「考え続けるしかないな」と思いながら続けています。「治った」という着地はないけれど、状態が少し変わることはある、という感じです。