「気にしない」と決めても、気にしてしまう自分

昨日の続きの話です。

後輩看護師に悪口を言われた! そこから学ぶアドラー心理学【課題の分離】

アドラー心理学を学んで、「気にしないのが正解」だとわかりました。

でも、いざその状況に立つと、頭ではわかっていても、気持ちがついてこない。

事ある度にそのことを考えてしまい、悶々としている自分がいます。

「気にしないって決めたじゃん」「もう終わったことだよ」
そう自分に言い聞かせても、ふとした瞬間に思い出してしまう。

頭でわかっているけど、気持ちがついてこない。

頭と心がズレるのは、私だけじゃなかった

実は、看護師として働く中で、私はずっと同じ構造を見てきました。

精神科の病棟で働いていた時、病識を持つことが難しい患者さんと多く関わってきました。
病気の説明をして、本人も「わかった」と言う。
でも、説明された内容と同じことを、また繰り返してしまう。

安静度の制限があるのに、守れず、また同じ行動をする。

それを見ながら、当時の私は「説明したのに、なんで」と思ったこともありました。
でも、関わるうちに気づいたんです。

人の心は、頭で理解したからといって、すぐに行動や気持ちが追いつくわけじゃない。

それは患者さんに限った話ではなくて、私自身も同じだったんですね。
「気にしない」と頭で決めたところで、心はそんなに簡単に切り替わりません。

人間の自然な反応なんだと、振り返ってようやく腑に落ちました。

私が試した、気持ちを切り替える工夫

それでも、毎日の生活に支障が出るくらい考えてしまうのはしんどい。
だから、自分なりにいくつか試してみました。

その人から離れる

シンプルですが、いちばん効きました。

シフトの中で物理的に距離を取れる時は、できる範囲で離れるようにしました。
休憩時間も、その人とかぶらないようにずらす。

仕事だから完全に避けられないけれど、関わる時間を減らすだけで、頭の中の占有率が下がる感覚がありました。

紙に気持ちを吐き出す

モヤモヤしたまま頭で考え続けると、ぐるぐるして余計しんどくなる。

だから、紙に書き出してみました。

「言われた言葉」「その時に思ったこと」「今、自分が感じていること」を、誰にも見せない前提でぜんぶ書く。

書き終わると、なぜか気持ちが少し落ち着く。
頭の中でぼんやり大きくなっていた感情が、紙の上では「思ったより小さい」と気づくことがあるんです。

完璧に切り替えようとしない

これは「方法」というより「諦め」に近いかもしれません。

気にしてしまう自分を、無理にゼロにしようとしない。
時間が経てば、少し薄れる。それでいいと思うようにしました。

アバウトでいい、と決めた

ここまで書きながら思うのは、「許す」というより「アバウトであることを許容する」感覚に近いんです。

完璧に気持ちを切り替えられなくていい。
昨日より少し気が楽になっていれば、それでいい。

以前の私は、「気にしない」と決めたのに気にしてしまう自分を責めることがありました。
「決めたのにできない自分はダメだ」と。

でも、自分を責めるとしんどくなる。
余計に気持ちがざわついて、悪循環でした。

だから、決めたんです。

自分を責めないようにするって。

それは弱さじゃなくて、自分を守るための選択でした。

それでも明日も看護師として働く、私

それでも、明日も仕事に行きます。

完全に気持ちが切り替わらなくても、出勤時間は来る。

そんな時に、自分に言い聞かせているのは、こういうことです。

どんなことであっても、自分は自分の味方であってほしい。

世界中が敵に見えた日でも、自分まで自分を責めたくない。

ぐちゃぐちゃの気持ちのまま、それでも今日を終える。
それが、いまの私の精一杯です。

がんばルンバよ。

ABOUT ME
ハロ
看護師歴15年。ICU・外科病棟・精神科身体合併症病棟・地域包括ケア病棟と4科を経験。現在も現役で病棟勤務をしています。 特に精神科身体合併症病棟では12年勤務し、精神疾患を抱えながら身体合併症の治療を要する患者さんと向き合ってきました。看取り、認知症ケア、終末期、急変対応――現場でしか得られないリアルを大切に、自分の体験と感情を正直に書くブログを運営しています。 「正解を教える」のではなく、「同じ目線で一緒に考える」スタンスで、読者の方が少し楽になる文章を目指しています。 【主な発信テーマ】 ・看護師のキャリアと転職 ・精神科看護のリアル ・看護師のメンタルヘルス ・現場で感じた違和感や気づき
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