看護師のバーンアウト|15年目の私が燃え尽きかけた話と回復までの道のり
「バーンアウトだ」と思ったことは、一度もありません。
ただしんどかった。つらかった。それだけです。
自分の状態に名前をつけることよりも先に、毎日の疲れが積み重なっていました。そういう時期が、私にも確かにありました。
バーンアウトという言葉で検索してここにたどり着いた方は、たぶん今、「しんどい」という感覚が先にあって、それが何なのかを確かめたいのではないかと思います。
この記事では、私が経験したこと——ICU 1年目の消耗から、師長との関係悪化で朝起きられなくなった時期、転職して少しずつ楽になるまで——を、できるだけそのまま書きます。
「乗り越えた」話にはなりません。今も完全に元に戻ったとは思っていないので。
「頑張れなくなった自分」に気づいたとき
看護師になって最初の職場は ICU でした。
先輩が怖くて、ずっと辞めたいと思っていました。「がんばっても怒られてばかり。何をやっても怒られると思うと周りが怖くて仕事に取り組めなかった」——あのころの感覚はそういうものでした。
先輩によって言うことが違う。正解がわからない。ミスをするとまた怒られる。その悪循環の中で、「自分は看護師に向いていない」という確信のようなものが少しずつ積み重なっていきました。
マルチタスクも瞬間的な判断も苦手だという自覚がありました。だから怒られるのは当然、という気持ちもどこかにありました。でも、それが続くとどこかで力が抜けていくんです。頑張ろうとすること自体が、しんどくなる。
それが「燃え尽き」なのかどうかは、当時の私にはわかりませんでした。ただしんどかった。
精神科に移ってからも、そのしんどさは形を変えながら続きました。新しく来た病棟師長との関係が崩れたのは、精神科での後半のことです。意見を出しても必ず否定される。人前で自分だけを大声で叱りつけられる。それが続きました。
3年間、辞めたいと思いながら働き続けました。友達に愚痴を漏らし続けた3年間でもありました。今振り返ると、「辞めたいと言いたいだけだったのかもしれない。たまっていたものを吐き出したいだけだった」という気もします。それがわかったのは、もっと後のことでしたが。
看護師のバーンアウトとは何か——「燃え尽き」の正体
バーンアウト(燃え尽き症候群)は、1970年代にアメリカの心理学者フロイデンバーガーが提唱した概念で、慢性的なストレスへの反応として起こる状態です。
大きく3つの特徴があります。
情緒的消耗感——「もう何もしたくない」
感情のエネルギーが枯渇した状態です。患者さんへの共感や気遣いが出てこなくなる、仕事から帰ってきても何もできない、休日も疲れが抜けない。
私の場合は、夜勤明けに給与明細を見て「これだけ、か」と力が抜けるような感覚がありました。悲しいとか怒りとか、そういう感情ですらなく、ただ力が抜ける。30代後半からは、夜勤の後の疲れが次の仕事に響くようになっていました。20代には平気だったことが、少しずつ堪えるようになっていく感覚です。
脱人格化——患者を「人」として見られなくなる
患者に対して事務的になる、距離を置きたくなる、「どうでもいい」と感じてしまう——看護師にとってはもっとも罪悪感を覚えやすい変化かもしれません。
ただ、私が経験したのは教科書で説明されるものとは少し違いました。患者さんへの感情がわかなくなった、というより、「自分が仕事でつらい状態に追い詰められていたとき、周りの人間がみな怖かった」のです。患者さんも、同僚も、先輩も。自分を守るために、誰からも距離を取っていた状態に近かったと思います。
個人的達成感の低下——「自分がやる意味あるのか」
仕事の成果が感じられない、自分がいてもいなくても同じ、という感覚です。看護師は成果が数字で見えにくい仕事です。「患者さんに何かできたか」が見えにくいまま日々が続くと、じわじわとこの感覚が積み重なります。
ICU 1年目のころの私は、頑張っても怒られてばかりでした。何ができるようになったのか、自分でもわからなかった。それがずっと続くと、「自分はここにいていいのか」という問いが消えなくなります。
看護師がバーンアウトしやすい理由——現場の構造
「自分が弱いからしんどいんだ」と思っている方がいたら、少しだけ立ち止まってほしいと思います。
バーンアウトしやすい環境の構造が、看護師という仕事には揃いすぎているからです。
感情労働の蓄積——「笑顔」の裏側
看護師は感情を使って働きます。患者さんや家族への対応、チーム内の調整、理不尽な場面でも冷静でいること。自分の感情を抑えながら、相手の感情を受け止め続ける仕事です。
精神科で12年働く中で、「なんで患者のためにやっているのに、こういう扱いを受けるんだろう」と感じた場面がたくさんありました。暴れる患者さんへの対応、治療を拒否する患者さんとの関わり。そのたびに感情をコントロールして、また次の患者さんのところへ行く。それが積み重なっていくと、どこかで感情そのものが消えていきます。
慢性的な人手不足と長時間労働
厚生労働省の調査によると、看護師の離職率は毎年10〜12%前後で推移しており、職場の人員は常に不足気味です。一人あたりの負担が増えると、休憩が取れない、有給が使えない、疲れを取る前にまた仕事が始まる、というサイクルに入ります。
回復できないまま消耗し続けると、どこかで止まります。
「逃げられない」環境——責任感が自分を追い込む
看護師が「辞められない」理由の一つに、責任感の強さがあります。「自分が抜けたら患者さんが困る」「同僚に迷惑をかける」——その感覚はとても自然なものですが、同時に自分を追い込む力にもなります。
私が師長との関係が崩れた3年間、辞められなかった本当の理由は「次の職場で働ける自信がなかった」からでした。経歴に傷が入るのが嫌で、休職もしませんでした。「無理なら頑張ることが自分を追い詰める」と今はわかるのですが、渦中にいるときはそれがわかりません。しんどくても、頑張り続けることしか思いつかなかった。
バーンアウトのサイン——自分で気づくためのチェックポイント
「これってバーンアウト?ただの疲れ?」と迷うことがあると思います。心・身体・行動の3軸で、自分の状態を確認してみてください。
ストレスが限界に近づいたときのサインについては、看護師のストレスが限界になったときでも詳しく書いています。
心のサイン——感情が消える、イライラが止まらない
- 仕事に行きたくない気持ちが続いている
- 患者さんや同僚のことがどうでもよくなってきた
- 以前は感じていたやりがいが消えた
- ちょっとしたことでイライラするようになった
- 感情が動かなくなってきた
私の場合、「周りの人間がみな怖かった」という感覚が一番強く残っています。怒りや悲しみではなく、ただ怖い。距離を取りたい。その感覚が心のサインだったと今は思います。
身体のサイン——眠れない、起きられない、食欲の変化
- 休みの日もぐったりしている
- 眠りが浅い、または眠れない
- 朝起きるのがどんどんつらくなる
- 食欲がなくなった、または逆に食べすぎる
- 夜勤後の疲れが次の仕事に残る
師長との関係が崩れていった時期、「朝布団から起きられなかった」という体験があります。眠れない夜ではなく、起き上がれない朝でした。行かなければならないとわかっているのに、身体が動かない。それが限界のサインだったと思います。
向いていないと感じる方は看護師に向いていないと感じたときも読んでみてください。
行動のサイン——遅刻が増える、人を避ける、ミスが増える
- 出勤ぎりぎりになる、または遅刻するようになった
- 同僚との会話を避けるようになった
- ミスが増えた、確認作業がおろそかになった
- 休みを取ることへの罪悪感がなくなった(または逆に、休みの申請すらできなくなった)
ICU 1年目のころ、先輩が怖いという感覚からミスが増えていきました。怒られるのが怖いから萎縮する、萎縮するからミスをする、ミスをするからまた怒られる。その循環が続いていた時期も、今思えば行動のサインが出ていました。
バーンアウトからの回復——私が「しんどい」を認めるまで
「バーンアウトだった」とは思わない。でも「しんどかった」のは確かです。
そして「しんどい」を認めるまでに、かなり時間がかかりました。
「しんどい」を口に出すまでの時間
3年間、友達に愚痴を漏らし続けました。
今振り返ると、「辞めたい」という言葉を誰かに聞いてほしかっただけなのかもしれません。実際に辞める決断をするよりも先に、たまっているものを吐き出したかった。そういう時期があったと思います。
師長のことを誰かに話すだけで、少しだけ楽になった。その「少しだけ」があったから、3年続けられたのかもしれません。でも、それは「しんどさが消えた」とは全然違います。ただ何とか保っていた、という感じです。
やりがいの感覚が変わってきたことも、気づかないうちに起きていました。看護師のやりがいが感じられなくなったときという記事にも書いていますが、なりたてのころは「勉強したい・経験したい」で病棟を選んでいました。でも、どこかで「いかに自分が楽しく働けるか」が大切になっていった。それは成長でもあったかもしれないけれど、同時に消耗の結果でもあったと思います。
環境を変えるという選択肢
36歳・14年目のとき、転職しました。
急性期の精神科身体合併症病棟から、慢性期の地域包括ケア病棟への転職です。年収はほぼ変わりませんでした。
一番変わったのは何か。純粋に、あの師長との関係から解放されたことでした。「折り合いの悪さによる悩みから解放された」——それだけで、消耗が大きく減りました。残業も減り、通勤も楽になった。「使える時間が増えた」「消耗が減った分の余白」を得た感覚がありました。
転職を通じて得たのは、年収ではなく「消耗が減った分の余白」でした。
転職を決めるまでで一番しんどかったのは、「辞めて別の場所で働けるのか」という不安でした。入籍直前のタイミングで、次の職場も決まっていない状態。その怖さは本当にありました。でも、「職場が変わってもなんとかなる」という実感は、動いてみて初めて得られるものでした。
転職のタイミングや考え方については看護師の転職タイミングにまとめています。
環境を変えることを選んだ体験についてはこちらにも書いています。看護師を辞めたいと思ったときの話
回復は「元に戻る」ことではない
転職して、しんどさは減りました。でも、完全に元に戻ったとは思っていません。
なりたてのころに感じていた「看護師として成長したい」という気持ちは、今はそれほど強くありません。「いかに自分が楽しく働けるか」が軸になった今の自分は、バーンアウト前の自分とは違います。
それが「回復」なのかどうかはわかりません。変化、という方が正確な気がします。
私は我慢強かった、根性があった。でも、無理なら頑張ることが自分を追い詰める。それに気づいたこと自体は、悪くなかったと思っています。
同僚がバーンアウトしているかもしれないと思ったとき
以前、同僚がメンタルの限界で退職しました。
そのときの私の正直な気持ちは「そりゃそうなるわな。辞めるのは当然」でした。驚きではなく、納得でした。その職場の状況を見ていれば、そうなることは自然なことでした。
同僚がバーンアウトしているかもしれないと感じたとき、何をすれば良いのかは難しいところです。「大丈夫?」と声をかけることが救いになる場合もあれば、かえって負担になる場合もある。
一つ言えるのは、「頑張れ」とは言わないことです。頑張っているからこそしんどいのに、「頑張れ」は何も解決しない。ただそばにいる、話を聞く、無理に励まさない。それだけでも、少し違うかもしれません。
深刻そうであれば、職場の産業医や保健師への相談を、本人の意思を尊重しながら伝えることも一つの選択肢です。メンタルの不調については看護師のメンタルが病むときに詳しく書いています。
FAQ
Q. バーンアウトとうつ病は違うのですか?
一般的には、バーンアウトは仕事に起因する慢性的なストレス反応であり、うつ病は仕事に限らず生活全般に及ぶ精神疾患として区別されます。バーンアウトが長期化するとうつ病に移行するケースもあります。
ただ、精神科で12年働いてきた立場から正直に言うと、うつ病なのかバーンアウトなのかは関係ないと思っています。病院へ行くと診断され、病名がつく。それまではただしんどいだけです。自分の気持ちがつらいかつらくないか、我慢できるのかできないのか。我慢できないなら、対処した方がいい。それだけのことです。
Q. バーンアウト気味のとき、心療内科や精神科に行くべきですか?
眠れない、食べられない、朝起き上がれないという状態が2週間以上続く場合は、受診を考えてみてください。「バーンアウトだから」という診断をもらいに行くのではなく、今の状態をきちんと診てもらうためです。職場の産業医やメンタルヘルス相談窓口も選択肢になります。
精神科で働いてきた経験から言うと、受診のハードルはできるだけ下げてほしいと思っています。「精神科に行く=おかしい」というわけでは全くない。我慢できないなら対処した方がいい——それだけのことです。看護師だからこそ、自分のメンタルに対して後回しにしてしまいがちですが。
まとめ——「しんどい」と思った時点で、もう十分頑張っている
バーンアウトだとは思わなかった。ただしんどかった。つらかった。それだけ。
その「ただしんどい」状態は、頑張りが足りないから来るのではありません。真面目に、責任感を持って働いてきたから積み重なっていくものです。
自分がバーンアウトかどうかより、「今の状態が我慢できるか、できないか」の方が大事だと思っています。できないなら、対処してほしい。休むでも、誰かに話すでも、環境を変えるでも。
私は根性があった。でも無理なら頑張ることが自分を追い詰める。そのことに気づいたのは、限界まで行ってからでした。もう少し早く気づけたら良かった、と今は思います。
辞めたいという気持ちを抱えながら働き続けた体験については、看護師を辞めたいと思ったときの話に書いています。よければ読んでみてください。